大変なことについて考えるべきこと

今の僕の現状。
朝8:00に学校に向かい、授業を受ける。単位が足りないわけではないけど全部授業が入ってる。あびゃびゃーって言いながらなんとか最後まで授業を受ける。時々寝る。
夕方18:00に授業終了。家に帰って飯。
夜20:00からバイト。テンションをあげるために行く前に軽く寝ることも。
2:00にバイト終了。ほんとは0:00に終わるはずなんだけど遅くかかる。
そこから帰って風呂に入って全くやってない宿題をとりあえず済ませる。なんやかんやで寝るのは4:00過ぎる。


最近こんな感じで正直かなり疲れております。遅刻もだんだん増えてきて居眠りも増えた。自由な時間もなくなった。
学校サボるっていうのは罪悪感の問題からできない。前の日記に書いたみたいに;
バイトは完全に僕の自主的な行いだからやめればいいって思うけどそれでも生活費を稼ぐには必要だし、店長はきらいだけどそのほかの人は好きな人がいっぱいいるし…多分w
僕にとってはどれも切れない物事たちなんです。でもさすがに疲れる。睡眠7時間半が理想の僕には決していい生活ではない。
こういう大変なときにいっつも考えてるのは、「きついこと≠楽しくない」ってこと。


たとえば僕は走るのが好きだ。走るのが速いわけではないけど走ってるときは自分だけの世界になって誰にも追いつかれないような気分で走れる。でも走るのはきつい。吐きそうになるw
でもやめないってのはやっぱりきついけどなんか得られるからだと思う。


そんな感じで今の生活もきついけどやめる気はしない。楽しいと感じてるから。そしてそういう時はその生活をやめなくてもいいと思う。
僕は社会人になったらきついだけの仕事は適当に済ませるけど楽しいと感じたらへろへろになるまでがんばるのかなーとか思っている。


もちろんきつかったら弊害も出てくる。
走ったらその後はあんまり使い物にならないし筋肉痛にもなるし。
大変な生活になったらだんだん心が動かなくなる。そうすると生活が楽しいのかどうかも分からなくなるからね。


だから僕は大変なことがやってきそうなときは


・それはちょっとでも楽しいと感じそうなことか
を考えてみている。楽しくなさそうなときはできるだけ逃げる、切る方向にもっていく。だけどちょっとでも楽しくなりそうなときは手を出してみる。


そして大変な状況にいるときは


・まだ持つか
・弊害が大きすぎないか
このくらい。
大変なときって頭働かないし。そしてやせ我慢せずに持たなくなりそうな前に遠慮なくやめていいと思う。


これが僕のこれまでに学んだ忙殺論w


バイトは楽しいけどさすがに大変で学校にも影響出てきてるから若干削ろうかなーとか考えてる。


そしてMr.Childrenの"傘の下の君に告ぐ"を聞いている。
つらいから逃げる、って言うけどそうじゃなくて得るものがないから逃げるようにした方がいいよ、って言う話。
得るものがあるかどうか判断するのは難しいけど自分の好悪感情も勘定に入れて大体の感覚で判断すればいいんじゃないかな。直感ってあんまりバカにできませんぜ。