どこまで律するか

うまく書ける気はしないけど今書きたくなったから書いとこう。


僕は「寝る間も惜しんで」という言葉が嫌いだ。
僕が多くの睡眠時間を必要とするってこともあるけど寝るって言うのは人が生きてる限り必要なことだ。ショートスリーパーだって寝ることは寝る。
でも、どこまで寝る時間を削るかって聞かれたら難しい。睡眠時間を0にしたらその一日は時間が増えたように感じるけど次の日にはだるくて眠くて頭が働かなくてもっと多くの睡眠時間を必要とする。


ちょっと話を逸らして。
僕が高校生のときに"LIVE AID"というイベントがDVDになって売られていた。
スタンスとしては「ミュージシャンみんなでライブやって集めたお金でアフリカに寄付しよう」と言うもの。
僕はこの姿勢に感動した。アフリカを今の状況にしたのは欧米で、ライブするのも欧米だから当たり前じゃないかとか、さまざまな批判も見たけどいまだにボブ・ゲルドフ(LIVE AIDを発案した人)は尊敬してる。
それで、LIVE AIDは寄付金も募集しているのだけど、そこで語られている美談にこんなのがあった。
「非常に多くの人が寄付をしてくれている。結婚指輪を売って寄付してくれたカップル、お小遣いを貯めて寄付してくれた少年…」とかなんとか。
そこを読んで僕は混乱した。寄付しようとしたとき、お金は確かに多いほうがいいだろう。だけど自分の収入に限界があるように寄付できるお金にも限界があるだろう。
収入全部を寄付に回したら確かに美談だろう。自分の持てるお金すべてを寄付した、とか。だけどその人は生活できなくなる。
あー、だんだんどう書けばいいか分からなくなってきた。
簡単に言うと、寄付はいいことじゃん。だけど寄付するために自分の月イチの楽しみとかを削ることはいいことなのかな?と。


話戻って睡眠時間の例。
睡眠時間を削って自分の成長に当てることはいいことかもしれない。
だからといって生存ぎりぎりまで睡眠時間を削ることはいいことなのかなーと。
ベストの体調に持っていく睡眠時間が分かっていたとして、それ以下でも普通に生活できるだろう。そのベストの睡眠時間と、最低睡眠時間の間でどこを取るかは個人の判断に任せられるけど決して少ないほうがいいってわけじゃないんだと思うんだよね。


こんな理由から努力至上主義(?)も僕はあんまり好きじゃない。
努力は確かに大事だし必要だと思う。だけど全部が全部努力するよりも、たまにはほかの事に目を向けたほうが結果としていいこともあるんじゃないかな。
勉強は大事。だけどずっと勉強してるのがいいってわけじゃないんじゃないの?みたいな。


こんな流れで中庸大好きになってる僕はもうちょっと努力を増やしたほうがいいのかなw
だけど自分に強いる、楽しくない努力ばっかりで心が折れたことがある僕はどこまで努力を増やせばいいのか分からなくて怖い状況で。


何が言いたいんだろう。やっぱりうまいこと言えなかったな。努力と娯楽が一緒になったら最高なんだろうけどまだそこまで熱中できることが見つかってません。
何時間もプログラミングに費やしてつかれきった頭で考えた疑問。


RADWIMPSの"七ノ歌"がつぼ。