辛さと楽しさ

いきなり鬱モーード

大体の要約は以下のとおり
1.大学院の辛さからくる自分の未熟さへの嘆き
2.純粋な生活中に感じる自分の未熟さへの嘆き
3.大学院での楽しさ
以上の三点は大学院生の特権と思ってがんばるよ!


1.大学院の辛さからくる自分の未熟さへの嘆き
まぁ、僕は理系大学院生としてやってるんですが、僕の研究室ってば結構辛い。
何が辛いってよく分からない焦燥感が辛い。
具体的にどうすればいいのかとか今の姿勢であってるかとか分かんないだけに尚更辛い。
研究内容についても先生があんまりいない&先輩があんまりこないから自分で考えるしかない。
そうすると不安になってくるから身近な先輩に話すんだけど全然ジャンルが違うからあんまりためになるアドバイスが帰ってこない。
おそらく僕は「ちょっとできるから研究ネタを出してもらおう」というポストに入れられたのだと思う。
同期はネタが揃えられていて「どこをサーベイすればいい」「どこを実装すればいい」というのが決められているだけにとてもあせってしまう。
「僕が嫌われてんじゃねー?」とか思うこともあるけど同期の中に可哀想なぐらい嫌われてる人がいてそいつがサーベイの段階で怒られたりしてるから嫌われてはいないと思う。
「じゃぁ致命的な無関心じゃね?」と思うけど先生とタバコを吸いながら「なんかおもしろいことあった?」とか「研究どんな感じ?」とか聞かれてるから先生としても僕の状況を分かった上でのこの状態なんだとおもう。
では僕はただ研究ネタを出せばいいだけかというとそういうわけではない。


研究ネタって思いつくものだと思っていたけどそういうものじゃないと最近すごく思う。
サーベイサーベイを重ねて自分の分野に関して理解して、そこからネタを探し出していく。それでも分野なんて5年かけても理解しきれないぐらい広いからある程度「アタリ」をつける必要がある。それは直感であったり先生からの示唆であったりするけど僕にはどちらもない。なので今人気な分野の論文を読んだりするけどそこは当然研究され尽くされている。
そういうわけで「今は研究されていないがこれから研究されて行くであろう分野」を探す必要があるがそれができていない。
それなのに共同研究という名の実装に追われ、時間が削られていく。
一番大きな焦りの要因だろうか。


2.生活中に感じる自分の未熟さへの辛さ
研究室内の雑務などを任される度に思うのだが、僕はいわゆる「巻き込み力」が足りない。
ある問題に「5人で対処しろ」というメールが僕に飛んでくるのだが、僕は全員にメールを飛ばしながらも自分でできることは自分でやってしまう。雑務なんて誰でもできるから結局雑務のほとんどをせいぜい3人ぐらいでやってしまう。
雑務と言えないような大きな仕事でも先輩に聞いたり先生に聞いたりして結局少人数で「それらしい形」にしてしまう。
その過程で「仕事が降ってくるのが辛いっす」というと「もっとほかのやつらに仕事を振って巻き込め」と言われた。
この部分では先生は僕が仕事量に潰されながらまわりを巻き込むことを学習させようとしているんだと直接言われた。
巻き込もうとするが「連絡を取り合って」と言っても連絡するのは僕からのみで巻き込まれた人はメールの催促をしない限り連絡しない。

最近は「要するに僕には人間的魅力がないんだな」と妙に納得したがそのことに気づいても仕事がはかどるわけではない。
何らかの対策を取る必要があるんだけど「人間的魅力をあげる方法」なんて怪しげなHOWTO本にしか書いてないわけで。


3.楽しさ
何だかんだと辛いところばかりだらだらと書いてしまったが研究室自体は楽しい。
自分が自分について考える時以外は辛いことはない。むしろこの環境は僕を成長させるという点では理想的でもあるとおもう。
研究のネタを出すというのは大学院生の醍醐味的な辛さという気もするしネタが出せないのは単純に僕の力不足からくるものも多く。
それよりも同分野のひととある問題について話し合うときの理解が進む感じが止められない。



自分が未熟じゃなくなったらどれだけ楽しい環境になるだろう、という意味でこれからに非常に期待している。